私にとって「毒親」という単語は処方箋
こんにちは。
ブログを始めたばかりで、
こんなに早く読んで下さる方がいらっしゃることに驚いてます😳ありがとうございます😌☺️
あゝ アッサムティーが美味しい。
心から美味しい、気分がいい、美しいなど、
じっくり感じる事を心がけるように
している日々です。☺️
本題に入ります。
毒親・機能不全家族と呼ぶ事に関しての、
続きです。
ことばの暴力も、精神的虐待。
そして、
「毒親」という和訳した単語も
ある書籍が出版されたことにより、
世に出るようになり、
私が苦しんできたモヤモヤ😶🌫️が、
例えて言うと、
わからない身体のツラい症状に、
初めて病名がついて、
なんだかホッと安心したような感覚です。
社会的に認知されない、脇に追いやられているような感覚も苦しみのひとつだったので。
「毒親」だなんて何てひどい表現なんだ、
どんな親にも、
そんな言い方するもんじゃない、
どんな親でも人間だ、人間完璧じゃない、
間違うこともあって当然、
育ててきてくれたことき感謝すべきだ、
という意見もあるのかもしれないですが、
これは、
「毒親」じゃない親に対しての考え方。
子どもが、「毒親だ」と感じたのならば
それを否定するものではなくて、
苦しんできた人間にとっては、
より心の苦しみが倍増するだけなので、
この意見は、
自分の心には処方箋は出しません。
うっかり処方しようものなら
苦しみが悪化するだけなので。
次は、心の膿みを出して行こうと思います。
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