心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

孫に対しては大して思い入れがないよね

タイトルそのまま。

父は私にそう言った。


え?

その孫たちを死ぬ思いで産んだ私に、

そういう事を言うか? 

と、、心の中でも自問自答した。


母方の祖父が乳児の私を溺愛していた

と言う事と比較しての言葉だが、

「あんなに孫がかわいいもんかねえ」

「私に対してはあんなんじゃなかったのに」

ってお母さんも言ってたんだよって。


好意的には言ってない。

嫌味にしか聞こえない言いっぷり。


「異常なほどのかわいがりっぷりだった」

と言わんばかりだった。


我が子をあんなに可愛いと思ってくれる

事が、親としては嬉しい、  

という意味では決してない。


こればかりは黙っていられなかった

「私がどんな思いであの子たちを産んだと

思っているのよ!!」

声を荒らげて言ってしまった。


だって、命懸けで産んだ、

かけがえのない、愛する子たちだから。

つわりがひどくて 

パンの焼ける匂いでさえ悪臭になった

全てが悪臭.....



水さえ飲めず、

胃液すらもう残ってないくらい

点滴を受けながら

吐き気どめを何度も打ってもらい、

口にできそうなものがないかと、

売店に買い物に行って、

失神して倒れ込むこともあった


それでも、お腹にいる赤ちゃんは

元気に育っているよ、と

エコーを見せてもらい、

赤ちゃんのためだ!なにくそ!と頑張った

毎日毎日、カレンダーをチェックしながら

安定期まであと少し、と

赤ちゃんのために

耐え抜いた。


それが約半年間


これが出産まで続く人もいる。


そんな苦しみをやり過ごして、

出産したのだ。


私の憤りは、言葉には表せないくらいの

ものだった。

そういう事が想像できない父。

そう言っても、

私が「うんうん、そうだね」と

聞いてもらえる、と思っている父。


祖父の私に対する溺愛の話は

置いておいたとしても、

思うのは父の勝手だが、

何もそんな事を言う必要はないだろう?

相手が不快に思おうが、

思ったままを何でも私に言ってしまう。

これは母も同じだった。


「そうねえ、おじいちゃんは、よほど私の事が可愛かったのねえ(笑)」なんて、

懐かしんで、和やかに会話....なんて

言い返せるような感じの会話ではないのだ。


あんまりいい気持ちはしないよね....

という感じの、

とにかく不快にさせるだろう

物言いの多い両親だ。


挙げたらキリがない。

これがずっとだ。


いつも思ってきた。

あの人たちのような物言いは、

私はしないな って。

ああいう物言いもあるんだろうけど、

私には合わないなって。

不快だけど怒りは尋常じゃないが、

この人たちを頼って生きていくしかないんだと。



↑チーズトースト。つわりが落ち着いてからは

もちろん大好き❤に戻ったけどね。