心の整理と死生観について:毒親に育てられた子

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

私は5歳の時からヤングケアラーだった



私は

子どもカサンドラ。


カサンドラ症候群(カサンドラシンドローム)である子ども。

という意味。


でもそれと同時に、

「ヤングケアラー」でもあった。

と、今更ながら気がついた。



父が母に対して、

共感できない・想像力がないため、

母は、無意識に「何だか気持ちが満たされない感覚」状態に陥っていたと思う。


それと同時に、父に影響を受けてか、

もともとなのか、、、

同じ事をしていた。

「え?友達なんじゃないの?」という方に

対しても、家ではマウントを取っていた。

お友達の方も、同じようであったかは

わからないが、

聞かされる子どもの私に取ってはあんまり

聞き心地のよいものではなかったよ。


私は絶対に、こういうことは言わない。

言うまい、と思ってきた。


しかし、母は、他人から

自分が人より下に言われると

もの凄く嫌がって、いつまでも

気にして、私にも愚痴を吐いていたっけ。

「ちょこっと、愚痴を言ってしまった」の

レベルではなく、

父同様、何度も何度も、数十年に渡って

繰り返して、私に吐き出してきた。


子どもにとって、逃げ場のない家の中で、

カウンセラーをやらされるのは、

重荷以外の何物でもない。

当時の私は、必死に受け止めて、

否定をせずに、全部飲み込んであげてきた。

「つらそうだな、私がどうにかできないかな」

って、本気で思ってきた。


母は、常に、

「何やら満たされない、モヤモヤしたもの」

を感じていたんだと思う。


イライラの吐き出し(八つ当たり、鬱憤ばらし)

不平不満の吐き出しも、

小さな頃から、私は全部受け止めざるを

得なかった。

昼でも夜でも、聞かされる、サンドバッグだ

夜なんて、逃げ出す事すらできない。


ペットに愚痴をこぼすかのような感覚だったんだと思う。


鬱憤ばらし、というのは、

私が学校で良くないことを言われているのを

知って、面白がって、いつも

その話を何年もにわたり、

私に向かって話して、笑い転げていた。

そんな時だけは、気持ちがスッと良くなる

みたいだった。


私にとっては、「良くないことを言われているその内容」に対しては、

不安で恐怖でいっぱいだったから、

これほどしんどいものはなかった。


本当は庇って貰ったり、

先生に取り持って貰ったり、

温かい言葉をかけてほしかったこと。




私がどう感じて聞いているのか、、

という事は一切配慮をしないし、

気が付かないみたいだった。


「友達がいる事の楽しさや、大切に思うことの大事さ」を語ったことは一度もなかったの。


「何でも(話)を聞くよ」と言ってくれたのは

亡くなる数日前だった。

亡くなる間際の人に、

今までの怒りや責め立てるような事なんて、

言えるわけがなかったよ。


病気と共に、最期まで生き抜こうと

頑張ってきたところは、

「偉かったな、すごいな」と

お疲れ様と今も思っているよ、


だけど、やっぱり、

ズルいなあ と思ったよ。


でも、一晩考え抜いて、要求だけは言った。


「もっと褒めて欲しかったよ」


「そのままで十分だよ」

と言ってほしかったな....ってね。


「もう今更遅いよ」

私の心の中にいる、小さな私は

怒っていた、怒りながらも

母を許せない自分に罪悪感も抱いていた。


「相手を変える事はできない」

当たり前だけど、百も承知だけど

相手は幼い子ども。

どう考えても、無理がある


5歳の子どもに納得させるのは

本当に困難なことだ。


半世紀と少し、生きてきた自分が

5歳の頃の自分に

どれだけ言い聞かせても、

なかなか受け入れようとはしない。

背を向けて、

「絶対にいやだ」と怒っているのが

正直なところだ。


大人の私が、5歳の子どもの私の

代弁者になって、

親とやりとりするしかないのが

現実。

しかも、

怒りの感情を抑えて、具体的に説明しながら、

わかりやすくやりとりしていかなければ、

通常の会話にはならない。

というか会話じゃない。


非常にしんどい作業だ。

私はどこまで「大人」にならなければ

ならないんだろうか。

我が子に対しての「親」だけがしたい。

本当に、、、。


子どもカサンドラ、というのは、

PTSDになることも多いと、

精神科のお医者さんは、書いている。