心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

幼い頃の自分を、気の済むまで抱きしめて寄り添ってあげる作業

こんばんは。

いままで、秋花粉には反応しなかったのに、

今年は目が痒くなりました。

薬を服用し始めました。





本題に入ります。

  

ひとつひとつ、

デトックスを始めていますが、

まだまだ、

膿は出しきれていません。

これからまだまだ膿出しは

していきますが、


今回出した膿に対して、

まだ吐き出して1回認めただけでは終わりにしないことにしました。


幼い自分が

親に言って欲しかったことば、

親にしてほしかったこと

これらをもう少し深く

掘り下げようと思います。

大切な以下のこと、

記しておこうと思います。


幼い頃の自分に対して行うことについて。

❶事細かに、

つらい、寂しい、悲しいと言う。

幼い頃は何をどう言ったらいいか、表し方もわからない。

ただただ、

苦しみを見せるしかできない。


だから、今の大人の私が代弁してあげるような気持ちで気のすむまで吐き出す。


❷やっとこ吐き出せた勇気を褒めてあげる→「いやだ!」と言えたね、えらいね、辛かったね、

怒っていいよと言ってあげる。


❸もっと言っていいんだよ

と促してあげる


❹本当はどうして欲しかったかをいう。


❺希望通りにしてあげる 


これらは、

全て頭の中のイメージだけですが、気の済むまでやってみようと思っています。


今、

イメージしてやっていること。

母ではなく、私が幼いころの私にしてあげています。 

思い出すたび、何回もです。



5歳の私が外に放り出された時も

怒り狂って母を停める。

文句を言う。


授業参観で手を挙げられなくても責めない。おかえり と優しく言ってあげる。


授業参観でものすごい緊張の中、手を挙げられたことを労って抱き締めて一緒に喜んであげる。


幼稚園のバス通園はやめて、無理にママさん達と自転車でバス停に連れて行かない。


手をつないで、話をしながら歩いて通園する。道端の花を摘んだりしながら、雨の日は傘をさして、、お揃いの傘で、、、


母がそうやってくれていたら、、という気持ちは消えたわけではないですが、

どうやっても、

母がそう言ったりやったりする姿をイメージはできません。

過去は変えられないけれど、

自分自身で塗り替える作業は

私には必要不可欠です。

自分がやってあげた方が、

さじ加減がわかるので、

それが私にとっては

ベストな方法なのだと思います。


白い雲が、まるで

ホイップクリームのように

盛り上がってました😆



ではまたこのへんで。