心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

行き場のない家・居場所のない家


父は相変わらず、私と話すと、

ひとりでベラベラ一方的に話しまくり、

私が話を投げかけても、

全く聞かない、相槌すら打たない


会話のキャッチボールができない


もちろん、共感なんてしたことがない

まず、幼い娘の話すことや、

幼い頃の私が、

今どういう気持ちでいるのか、

どう思っているのか、

「尋ねたり、聞いてあげる」事は

一切しない


自分の希望することが、

一向に叶わなかった、

悔やまれて仕方がない

という執着を話すこと以外は


家族の思いには興味がないみたいだ


耳を傾けようともしない


いつのまにか、

自分の話にすりかえて、

自慢話や苦労話、マウント話、悪口、

不平不満話に変わっていく。

 

執着していると言う意識はまるでない


ひとりでしゃべりまくる

何時間もだ。

どこかで止めないと止まらない。


昔から。


聞かされるだけ聞かされて、、、


何度も何度も....

子どもながらにも、

さすがにだんだん嫌になって、

茶の間を出て

暖房のない寒い部屋に逃げていたこともあった


そんなグッタリした、幼い私が  

ひとりで茶の間から出ていく事に

目を向けることもなく、 

目を向けるどころか、

全く範疇になかったようだった

ひたすら喋り続けていた父.....


行き場のない 居場所のない家


子どもの頃、そればかりで

いつもグッタリ疲れていた

どんよりとした空気、、、

次は私の話も聞いてくれるのかな

でも一度たりとも、

私に話をさせてはくれなかった


未だに

私が聞かされ役になっていることにも

無自覚な父、、、、

母に対しても同じだった


聞いていない

重荷になっていることにも。

何十年も私に聞かせてきたとは、

本当に全く気がつかない


それどころか、先日は、

「知らないと思ったから、話しておいた方がいいと思って話したんだ」

という始末。


未だに

実の弟たちの事を、

「高校に進学もせず結婚もしないで」、、、

「あんなんだから.....最期は....」

もう何年も前に亡くなっているにも関わらず、何度も何度も.....


学歴をつけて人並みに結婚して家庭を持って、、、

言いたいことはわかる

そういう理解はできるが、

他人に強要できるものではない


これに当てはまらない人間に対しては

枠から外れているという認識のようだ


世の中、色々なカタチがある....


父にとっては「変わり者」の枠に決定


もううんざりだ、、、、

でも、親だ 親なんだから.....


必要なお金も出してくれて

希望を叶えてくれたでしょ....

衣食住、

何不自由なく暮らせてこられたんでしょう....


もうひとりの私が、

世間を代表するかのように

本当の私の苦しみを否定するのだ


グッタリする