心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

愛されている実感が持てない、子どもカサンドラ

深夜投稿すみません🙏🙇‍♀️


サブタイトルを、

「毒親に育てられた子」から


「私は子どもカサンドラ」に変更しました。


以下、重たすぎなので、

無理に目を通さないでくださいね


私のつぶやきだから...


ただ、この後飛ばして貰って

お花の写真🤳の間の文章だけは

軽やかです☺️



母も、父同様、幼さの残る人だった


今思い返すと、

あまりにも辛すぎて、

私も辛い時は愚痴をこぼすこともあった

ゼロとは言わない。

そんな時、

父には「愚痴ばっかりこぼすな」

と言われたことがあった


父は未だに愚痴ばかり聞かせるくせに

矛盾だらけ...しかも気がつかない


母は、幼い私によく

満足がいかないこと、愚痴をこぼす人だった


幼い私は、そのたびに気を揉んでいた

というか、行き場のない家の中で

聞かされるのだから、

嫌でも聞かざるを得なかった


何年にも渡り、

私に一方的に聞かせてスッキリしたみたい

私が気を揉んでいたことを、

大人になって話したら、

謝るでもなく、

「あら そんなこと言ってたっけ」

とすっかり忘れてしまっていた 

幼な子がじっくり聞いてくれていたなんつあ

微塵も思わなかったみたいだった


逆じゃないの、普通は💢

っていう感情が込み上げた


未だに腹が立って仕方ない

だってさ、

とお(10歳)もいかない幼な子に対してだよ


幼い私によく自慢もしてきた

同じことの自慢。

幼いながらも何回も何年にもだと、

またかと「鼻につく」ようになっていた


私に褒めて賞賛してほしかったのか,..

逆に、

母に、私のやっていること、楽しかったこと、

一緒に喜んで貰いたくて

何度も何度も、、色んな話しかけてみたけど、

父同様、無反応で、

一度も共感をしてくれない人だった 

もちろん褒めたりもしない


ねえ、きいてきいて

見て!見て!

よく小さな子がお母さんにせがんでいる姿

「わあ、○○ちゃん すごいねえ!」

「お母さん、絵本読んで!」

すんなり手に取り読んでくれて、

寄り添ってお母さんの声を聴くこの姿....


こういうやりとりが、幼い私には

一切持てなかった

本当に悲しいくらいうらやましかった


こういうやりとりは、

お話かドラマ設定だけしかないんだと

思っていた


褒めてもらえないのがあたりまえ。



その代わり、母親になった私は

我が子とは、こういう時間をたくさん

持つようにしている


子が「シャトラン何十回もできたんだ!」

と話してくると

「何?シャトランて?」

「お母さん知らないの?シャトランは〜〜するもんなんだよ。」

「へえ〜お母さんはやったことないから

知らなかったよーそんなにたくさんできたの?すごいじゃない!」

子はちょっと誇らしげ😁


何度も子どもは話してくる☺️

「すごいね!がんばったじゃん!👍」

ことばのキャッチボールをする


我が子たちは、これを当たり前のことで

きっと大人になって、忘れてしまうんだろうけど、たいしたことではなく、

過ぎているかもしれないが、

それでいい それがいいんだ☺️

「あたりまえだったこと」

気にもとめないくらい「あたりまえなこと」☺️


軽い話はここまでです☺️


こういうやりとりが、幼い私は

したかったんだ


私は両親に、一度たりとも

褒めてもらったり、共感してもらったり

労ってもらったりしたことがなく、

ひたすら 聞き役 ヤングケアラー

愛されている実感が持てず

精神は安定しない 脆い

心が壊れてしまうことも多い


こういうのを「こどもカサンドラ」

というらしい


幼い子だから、わからないだろうと

一方的に話しまくっていたんだろうけどね


私はこの2人に「親」というのを

経験してもらうために

あえて選んで生まれてきたのかなあ

自らこのふたりの練習台になるために

生まれてきたんじゃないかな

なあんて、

思うようになった


上から目線な考え方だけど、

こうでもあえて思わないとやっていられない

こう考えると、

私はすでに過去世で、

「愛情を受けて育った経験は十分にしているから、もうそういう段階は卒業していたのかな」

とでも思う方が、

精神的に落としどころがつく、、というか、、


重たいなあ、私の話...

かなり重たいデジタルタトゥーだな