心の整理と死生観について:毒親に育てられた子

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

「子どもであること」を充分に経験するVol.4

次は、

学生の時、知的障害児の何かの行事に

ボランティアで参加した時の事です。


私はこういうボランティアが

初めてで、子どもたちと、

どう接したらよいか

わからなくて、、、

戸惑っていました。

すると、

一緒に参加した先輩が

子供と色々接する中で、

「つかまえた」と言って、

ある子に優しく抱きしめてあげているのを目にしました。

その子は、その先輩に、

とても心を開いて、慣れてくれて、手を繋ぎ始め、仲良くなっていきました。

あゝ、こういう風な接しかたもあるんだなと、心にメモをしておきました。


私も、

別のボランティアとか実習で、

少しずつ関わりながら、

同じように真似をしたら、

とても心を開いてくれて、

仲良くなれた経験がありました。


その先輩も、その上の先輩の

保育・教育実習でのことを

話してくれたのですが、


児童養護施設でのこと。

親がネグレクトだったのか、

詳細はわかりませんが、

ある中学生の男の子(1年生だったかな)は、

夜寝る時に

「手を繋いで寝よう」と

言うのだそうです。

ネグレクト以外にも、

何かしら理由はあるにせよ、

この彼の場合も、①〜③の段階を

踏んできていなかったんですね。

いかにこの段階が重要なのかが

とてもよくわかった事柄でした。

そういう要求をすることができて、

周りもそれを

受け入れてくれるような環境であれば、

その後の状況が変わるのかもしれません。


でも、こういう状況にならない場合は

たくさんあります。

こういう事が、心を壊されていく原因に

繋がるんだよなあ、と

思いました。


私もそうでした、

寂しくて虚しくてしかたありませんでした。

ただ、幸いなことに、

すぐそばに祖父母がいたので、  

食事・お風呂を済ませ、 

逃げるようにして、そのうち当たり前の様に

祖父母の家へ泊まりに行き、

朝ごはんを食べて登校する、というスタイルを

小学生のうちはずっと、卒業するまで

続けていました。


祖父母の愛情があったから、

免れたような感じです。

祖母のそばで絵を描いたり、人形で遊んだり。

一緒の時間に布団を並べて横になり、

時々、

祖父が素話(日本神話ヤマタノオロチの話)

をしてくれる、

自分を見ててくれているという

安心感。

喉の風邪をひいて、

息が苦しくなってしまったら、

祖母が寒い中、夜中に畑から

ネギを取ってきてくれて、

ネギを焼いたのを、

手ぬぐいにくるんで、首に巻いてくれました。

朝にはとても楽になって

安心した事がありました。


充分に「こどもの時」を経験する事がいかに大切か、いかに

気持ちという意味での「目」を

離すというのが危険な事か、

というのを、感じました。

そして

今もそう感じています。


長い記事を読んで下さって

ありがとうございました😊


多生谷 ゆり