心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

母のイライラと父の無関心

太生谷 ゆり

私が3歳の時までは、

賑やかな街中に住んでいたのですが、

田舎町に引っ越してきました。

引っ越すにあたっては、

諸々の理由はあったのですが、

これは最後に。


私が幼稚園に入ってから、

今思い返せばですが、

母は私に対して、あまりにこやかには

接してくれないことに、

何となく、

寂しさとか愛情不足を感じていました。


私は幼稚園の雰囲気に溶け込めなくて、

毎日憂鬱な気持ちで通園していました。

そんな憂鬱で元気のない様子でいても

気がつかないようでした。


長い長いバス通園で、

もともとトイレが近いので、

トイレに間に合わなくて、バスの中で

小を漏らしてしまった時も、

バスから降りると、

泣き顔をしている私を気にするでもなく、

なんのひと言もなく、

無表情で私を自転車に乗せて

帰る母の姿を、悲しく感じました。 

帰宅してからも、何のことばもなしでした。

悲しくて寂しかった記憶が残っています。

あれが、「大げさに騒がないで淡々としていたほうが、私が傷つかない」と思ったからなのかはわかりません。

「着替えな😕」と

無表情で洋服をぽんと出されて、 

ひとりで着替えました。

「気持ち悪かったね」「取り替えてさっぱりしようね」くらい何で言えないんだろう。

ひと言くらい、何か言ってあげたって

バチは当たらないのに。

幼な子には寂しすぎる一日でしたね。


今で言う、近所のママさん付き合いで

疲弊していた母は、

イライラしていたのでしょう。

私の表情に、いっさい

気にかける余裕もなかったみたいに感じます。

温かいことば、と感じるものをかけてもらったことがありませんでした。


ある時、晩ごはんの後、何の気なしに

父の隣で、畳に寝転んでいたら、

母が何かを言っていて、

私が気がつかず寝転んだままいると、

急に怖い顔で、

私の腕を引っ張って、

台所の出入り口から、外に放り出され、

ひきつけを起こすほど、嗚咽していたことが、

2回、4歳5歳の時にありました。

何が悪かったのか、家に戻された時も、

無言で何も説明をしてくれませんでした。

「私、何にも悪いことしてない、何で?」と

心の中で怯えながら、父を見ると、

見向きもせず、知らん顔で、 

テレビを見ている姿も、鮮明に覚えています。

「何で 何も言ってくれないの?何で止めてくれないの?」と思いながら、

引き摺りだされていた記憶がはっきり残っています。悲しかった😔


子どもながらに

「お父さんのそばにいたから、怒ったのかな?」

と考えを巡らせ、 

次からは父のそばに寄り寝転がるのもやめるように気をつけました。

晩ごはんの後は、しばらくの間、びくびくしていましたっけ。😰

それからはされなくなって、安心したのも

よく覚えています。


夜、母に連れられて布団に入る時、

「お母さん、絵本読んで」と、

恥ずかしい気持ちで頼んだのですが、

「自分で読みな」と突き返され、

「あゝ 夜絵本を寝床で読んでもらうのは、

テレビやお話の中でだけなんだな、

我慢しなきゃダメなんだ、

赤ちゃんだったら許されたのかな、

恥ずかしいことを自分はしてしまったのだと、

物足りない気持ちを感じつつも、

もう二度と頼むことをやめていました。

小さな豆電球を見ながら、

ひとりで虚しく、なかなか寝付けず、

それでも我慢していました。

でも、廊下の向こうから聞こえてきたのは、

父とテレビを観ながら笑い転げている

両親の大きな声でした。😔

絵本の一冊さえも、よんではもらえないのかなと、寂しさでいっぱいでした😔

だから、天井の豆電球ひとつで寝るのは、

今でも嫌いで、寝るときは、

廊下の電気はつけっぱなしです。


手も繋がない、抱き締めたりもしない、

父と母の、温かい言葉も笑顔もない、

物足りなさを感じる毎日でした。

手を思い切り引っ張られた記憶しかない。


よく、父も母も、私のいる前で

不平不満、悪口三昧。

そして、鼻をつくような自画自賛。

おまけに、

私を笑いものにして嘲り笑う事もありました。

内容は間接的なんですが、悪口なので、

それ、私にも当てはまるじゃない😡と、

不快な気持ちになる事ばかりで、

それに対して怒ると、

「冗談だろが!何、本気で怒ってるんだ」

「被害妄想なんだよ」と

呆れた顔と、嘲笑される。


こんな幼稚園時代を過ごしていました。


ちなみに、

田舎町へ転居したのは、

母方の祖父母が、先に転居していて、

隣に来ないか?と話があったのと、

母の弟(私のおじ)が、

ちょっとヤンチャをしていて、

同級生の男子と喧嘩をしたらしく

でも、普段のおじのヤンチャぶりを、

周りは知っていたため、

その先入観だけで、おじが悪者にされ、

その町に住みづらくなったためのようでした。


ただ、転居してからは、おじも心が安定して

立ち直り、私はおじに懐いていました。

たくさん話しかけてくれた思い出があります。

☺️☺️☺️


今は亡き叔父へ。

昔はなかったYakult1000だよ😇

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