心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

「せん妄(せんもう)」について

こんにちは。

11月には入り、

さすがに空気感が変わってきましたね。

肌で感じるようになりました。


コスモスがきれい😍


先日、また、入院する父のところへ

面会に行ってきたんです。


看護師さんからは、

マメに連絡を入れて頂いており、


入院してしばらくしてからですが、


点滴の針を抜いてしまったり

無理に起き上がろうとしたらしく

ベッド🛏️からの転落・骨折の危険性があるので

拘束バンドを使用しています、

ご了承いただけますか?とのことでした。


「せん妄」という症状が出ていました。


体調伺いと

食事を運んできてくださった看護師さんには

来るなり

「バカやろうが!!」😳😳😳

😰😰😰😰😰😰😰😰😰😰😰😰😰😰

さすがにバカやろーはないだろ!😡😡😡

と思い、

「なんて失礼なこと言うの💢💢💢」と

叱りました。


不安定な状態なんだろうなとは

察知しましたが、

そばにいる家族としてはね、、😥

黙ってるわけにはいかないなと思い、、

看護師さんにも即座に謝りました。


いくらお仕事とは言えねえ、、😓

気分良くないですよねえ、、、😓


看護師さんは、意識状態の確認もあり

おそらく何度も名前を聞いてきたのを、父は

「俺はバカにされてる」と思っていたようで。


私が何を話しても全く聞く耳もたず、

「向こうも言ってくるんだからいいんだよ

ことばのキャッチボールだよ」と

うすら笑いしていたので

「あー😮‍💨😩何言ってもダメだな」

とハイハイと聞き流してました。


「(自分を良く思わない人間から)

閉じこめられていたんだよ」


「(亡くなった兄)がそこに立っていた」


「核戦争が起きるから危ない」


「こんな危険な時代じゃ、ゆりも孫たちも

長生きできないだろうな😣」


「みんな感染してないか?」


その他

かなりぶっ飛んだ話もしていたので

まあ、否定もせず、「そうねそうね」と

話合わせていました。


帰りに看護師さんに丁重に謝りつつ🙏

帰宅しました。



ゆり

どういう巡り合わせか、願ってもないタイミングに恵まれ、、、

父が私のところに来てからというものの

どんどん体調が悪くなり、

歩くのもしんどくなり、

起きているのさえきつくなってました。




歯医者さんは🦷中断、

胃腸科での内視鏡検査も中止になりました。

なんだかんだで、「体調おかしいよね」と

意見が一致して、

夜遅くに

救急で病院にかかり🏥ました。

その後やはり

色々なんだかんだで、、、

肺ガンの再発・ステージ4(末期)だ

という診断になり、

胃潰瘍を併発していて、

まずは胃潰瘍の処置 をしてもらい、

入院、続いて退院後は

住民票を移し、介護認定をしてもらってから

緩和ケアの施設に入ることが決まりました。


どういう巡り合わせか、退院後の施設は

私の住む同じ町内を紹介され、

しかも空室があるよという、

願ってもないタイミングです。

両親には、子ども時代の私の一番の理解者であって欲しかった

以前、

映画🎬おかえり寅さん の中の


吉岡秀隆さん演ずる、

父親になったミツオさんと娘さんの

最終に近いシーンでの会話




「お父さん、話したいことがあるんだけど」

とミツオの仕事中(小説を書いている時)に

遠慮がちにふすまから顔を出す娘さん。


するとミツオパパは、ひと呼吸おいてから、

キミの話より大事なものなんてないよ。

(どんな話かな?)」


と返答をしていました。


これ、映画の中だとは言え、

本当にリアルな場で、

言って欲しかったことば。


こんなのありえない日常、でしょうか

臭いセリフだという人もいるのでしょうか


私はこういうセリフではないにしろ、

これに似たような経験がないので

判りません。


せめて、父にも母にも

「どうしたの?」くらいは言って欲しかった。


友達から嫌がらせをされ悲しんでいる、

自分の娘からの話を

すぐさま乗っ取って、

自分の悲劇話にすり替え、

愚痴のオンパレードを

延々と始めてしまう父、


可愛がっていたネコが亡くなって

嗚咽するほど悲しむ小学生の娘を見て

「そんなことでひどく泣くことか😒😒😒」と

肩に手を置くくらいのことでさえすることなく呆れ顔するような母、


映画のようなシーンに

ならないことは、

火を見るより明らかなことでしたが


でも、

もしも、

映画の中のように、

親からことばを貰えたら

子どもはどんなにか

自分を大切にできる人間になれるでしょう。

自分に価値がある、と無意識に感じられ

自信を持って強く生きて行ける人間に

成長できるでしょう。


ミツオパパは、奥さんに早くに亡くなられ、

男手ひとつで娘を育ててきた、

日頃、なかなかじっくり話を聞いてあげられないことへの申し訳なさからくる

自然なことば、小説家ならではの語彙の豊かさからくるものだったと想像ですが、

そう感じるシーンでしたが、


どんなに仕事が忙しくて

普段、

自分に関わってくれる時間がないとしても

寂しい気持ちはならないで

愛情不足にならずにいられるであろうなと


いや、そんなに単純じゃないのかも

しれませんが、


私は親にはそう在って欲しかったのだと

思います。 


こういう温かい雰囲気を味わって育ちたかった私は贅沢ですか?わがままなんでしょうか?


内観しています。



ゆり