心の整理と死生観について:毒親に育てられた子

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

デトックスをしながら、もしかしたら、、と思ったこと

出産・育児をしていくうちに、

幼い頃に両親から受けた、

理不尽な言動が

どんどん蘇るようになった


押し隠してきた、不快さ、怒り。

両親なんだから、、と

その不快さ、怒りを感じる度に

同時に起きる罪悪感、、。


そんなの冗談だ、

お前は被害妄想なんだよ。

のことばで済まされてきた不快感。

我慢するしかなかった幼い頃の私。



それから、毒出しを始めて、

辛かった幼い私の気持ちを

受け止めること、認めることにした。

罪悪感なんて持たなくていい。

心を内観するようになった。


そんな中、母は亡くなった。

やっぱり、私の不快感には

ピンと来ないみたいだった。

ありきたりの事しか、やりとりは

できなかった。

もう、亡くなるだろう人に、

話す余裕はなかった

責め立てることは出来なかった。

今は、それで良かったのかなと思っている。





でも心の中で、母には何回も

伝えている。


伝えながらも、

あの日の、

最期数日間のやりとりを思い出しつつ、


嫌な物言いをしなかった時間、、、

ひとつは、母と食事をしたり、

もうひとつは、

子ども達と一緒に過ごした事、、、


でも、

大人になってからも、

変わらず私に放った

無神経なことば、、、


不快さと怒りと、やっぱり罪悪感とが

入り混じる。


でもやはり、

「また母と話をしたい」

涙がどうしても出てきてしまう。


存命の父との、ほとんど今までなかった、

するのを諦めてやめてしまっていた、

1対1のやりとりをするようになり、


最近、ある事が判明した。

もしかしたら、、、

あゝ、これだったのかな、と、、、。


長くなったので、一度切り、

続きは次の記事にします。


多生谷 ゆり