心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

私にとって「毒親」という単語は処方箋

こんにちは。 

ブログを始めたばかりで、

こんなに早く読んで下さる方がいらっしゃることに驚いてます😳ありがとうございます😌☺️




あゝ アッサムティーが美味しい。

心から美味しい、気分がいい、美しいなど、

じっくり感じる事を心がけるように

している日々です。☺️


本題に入ります。

毒親・機能不全家族と呼ぶ事に関しての、

続きです。


ことばの暴力も、精神的虐待。

そして、

「毒親」という和訳した単語も

ある書籍が出版されたことにより、

世に出るようになり、


私が苦しんできたモヤモヤ😶‍🌫️が、

例えて言うと、

わからない身体のツラい症状に、

初めて病名がついて、

なんだかホッと安心したような感覚です。


社会的に認知されない、脇に追いやられているような感覚も苦しみのひとつだったので。


「毒親」だなんて何てひどい表現なんだ、

どんな親にも、

そんな言い方するもんじゃない、

どんな親でも人間だ、人間完璧じゃない、

間違うこともあって当然、

育ててきてくれたことき感謝すべきだ、

という意見もあるのかもしれないですが、

これは、

「毒親」じゃない親に対しての考え方。


子どもが、「毒親だ」と感じたのならば

それを否定するものではなくて、


苦しんできた人間にとっては、

より心の苦しみが倍増するだけなので、

この意見は、

自分の心には処方箋は出しません。

うっかり処方しようものなら

苦しみが悪化するだけなので。


次は、心の膿みを出して行こうと思います。

毒親育ち・機能不全家族と呼ぶ事について

「機能不全家族」というと、

約30年前の、私が20代の頃は、

アルコール依存症の親を持つ家庭のことを指して使われていた単語でした。


衣食住に不自由することはなく、

教育も受けさせてもらい、

アルコール依存症の親でもない。

虐待の項目を調べても、

身体的なひどい暴力の事を指しているだけで、

私のような、

精神的な、

ことばの暴力については、書かれたものはなかなか見つからず。


はたからみたら、目に見える殴られたアザがあるわけでもないし、衣食住は足りてるし、

教育も受けさせている。


どう考えても、当てはまらない、、、

絶望感、、、


親の不平不満・愚痴・悪口三昧の吐き出し箱。

時には、嘲笑のターゲットにもされる。

例えそれを親が誰かから、追求されたとしても、

「本心でなんぞ言ってない、軽い冗談を言ってるだけだ、気にする方がおかしい」と言われたら、

何も言えなくなる。

子どもの気持ちを慮ることもない。


これって、虐待にも、機能不全家族にも

当てはまらないのか???

私が 気にしすぎなのかな、心が弱いのかな、

私がおかしいのかな、

でも、愛情が埋まることのない心、、、、

納得できない、、

そう思いながらも、物質的には不自由なく育ててもらっているのだから、

これ以上のことは、望んではいけないんだ、

両親は私に愛情を持ってくれているはずなんだ、だから、機能不全家族だ、虐待だなんて思ってはいけない!」こんな風に、

無理矢理、満たされないモヤモヤした心を押し潰してきました。


本当の意味で、父母から愛されたい。

温かく包まれたい。抱きしめられたい。

温かい愛のある笑顔で私を見てほしい。

あわよくば、ほめてほしい。


幼い頃の私の気持ちを代弁するなら

そんな感じです。


P.S

月を見上げるのが好きです。

雲の切れ間に、昼間の月をみつけました。


あゝ 空気がおいしいな!

過去の糸と現在の糸を織り交ぜながら

だいぶ秋らしくなってきましたね。

お風邪などひいてないですか?

過去の出来事と現在を織り交ぜながら

書きたいと思います。


イオンで購入した、カレースープを

食べながら、紅茶を飲みながら書いてます。

あゝ 美味しい😋😆


母が好きだった花のひとつ、、、


母が今年2月に77歳と4日で亡くなりました。

肝細胞癌でしたが、最後の最後まで、1日でも長く生きようと、がんばり抜きました。

しんみりしてしまい、悲しみの穴🕳に

どっぷり浸かってしまいそうなので、

この辺の話はまた追々、

綴っていこうと思います。


今朝、父から電話があり

「りんご🍎を送ったよ」とのことでした。

母が生きている時から、

10月になると毎年送ってきているのです。

二度寝している中、スマホに📱かかってきたので、

寝ぼけた声で出たら、

「風邪ひいてるのか〜?」と言われました。

そうではない事を話し、りんご🍎のお礼も言い

少し世間話をして、電話を切りました。


開口一番、私の声だけで、何か変化があったのかに

気を向けたのは、生まれて初めてだったので、

「めっずらしい😳」と驚き、

ちょっと温かいものを感じつつも

子どもの頃にこういうことばがあったら良かったのに、、、と正直 残念な気持ちもありました。


時間を糸に例えると、

過去の糸は🧵すりきれそうな脆い、

色褪せた弱い糸。

ちょっと引っ張ると、ちぎれてしまいます。

その割には千切れて行き場をなくして

糸くずだらけで

いつまでも、身体にまとわりついているのです。


続きます