心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

寿命って何なんだろう、、、

こんにちは。

こちらのページを開いてくださって

ありがとうございます。


今日は早朝から雨風強くて、、、

急に雨が降り出したり止んだりして、

今は晴れてきました。


前回の記事に続きます。

今回は、母の死を通して、

思ったことを書いてみます。。。


いずれはね、誰でも亡くなる。

私だっていつかはね。

限りあるからね。

一緒に生きてきたみんながいないのに、

自分だけ

何百年も生きる方がキツイ😅

浦島太郎状態にはなりたくない。


母の病は、

自分の不摂生からかかったものでは

ないのです。

それがなければ、

もっと長く生きられたかな、って

どうしても、そのことは

理不尽でしかないのです。


しかも、完治できる治療法が、

母の病状の後を追うように

進歩してきて、、、

時期が逆だったら、、、

と思ってしまいます。


私も同じ病に罹っていて、

手遅れにならないうちに

治療した方がいい、

とお医者さんから言われつつ

延び延びにしていたので、

もう少し早いうちに完治

させて、


私から臓器を提供して、

移植手術を受けさせれば、

あと数年は寿命が延びたかな、

と思うと、やはり無念です。


ただ、

タイミング的に、

うまく行ったかどうかは、

わからないので、

致し方ないのですけどね。


母は、栄養にも気をつけて、

やれる治療は全てやりました。

結構しんどかったと思います。

でも、

病の半分は完治しました。

ただ、もう、だんだんと、

臓器自体が持ち堪えなく

なっていきました。


でも、そういう中でも、

最後まで生き抜いたことには

すごいな、頑張ったな、と

拍手👏を送りたいです。


こんなこと考えてる間にも

涙が出てきてしまいます。


平均寿命に近いくらい生きて、

孫の成長を見たり、

自分の好きなこと、

もっとしてほしかった。


コロナが流行する前に、

遊びにきた時、

家の中で

おしゃべりするだけじゃなくて、

もっともっと、観光スポットに

連れて行ってあげればよかったなと思うのです。


寿命って、なんだろう。


お焼香にきて下さった方も、

葬儀屋さんも、

母に対して

「お疲れ様でした」と

言葉をかけてくれました。


そういうことなのかな、

寿命って。


読んでくださってありがとうございました。


桜の木を見上げて