自分に価値がないという感覚は日常のこと(自己無価値感)
もうひとつ。
8歳の時のこと。
よく、母は私に、
「私が生まれる前に、子宮外妊娠をし卵巣をひとつ取って、痛くて辛かった話」を時折話して聞かせていました。
「辛かったんだな」
「でももし(通常な状態で)生まれてたら、
お兄ちゃんだったのかな、お姉ちゃんだったのかな、いたらよかったな🤔☺️」
なあんて言われるたびに考えていました。
でもこの時は突然、ふんわり、
普段は目を逸らしがちなのに、
この時は、
私の目をまっすぐ見て、
こう言い放ちました。
「最初の子が(通常の妊娠で)
生まれてたら、ゆりちゃんは
生まれてなかったわね」
「一人しか産む予定なかったから」
とフツーに、ほんとに
日常会話の如く、
フツーに言ってきました。
本当に、「強調したいくらい、フツーに」
です。
8歳の私は、
「私は妹になっていたわけじゃなかったのか」
2人きょうだいではなく、
そもそも、
私は存在すらしなかった、
という事だったのか、と、、、
そういう事だったのか、、😦😦😦
こんな風に、
当たり前の事として、「そうだよね」って、
母の気持ちを優先にして
受け取っていました。
私が出産するまでは、です。
「本来はいなかった」って、、、
既に生まれている子どもに面と向かって
言うことなんでしょうか、、、
親の都合だから、
仕方ないかもしれないですが、
わざわざこんな事、
言う必要はないんじゃないか?
という事がたくさんありました。
母は、何でも言いました。
私が不快に思うだろう事も。
「そんな意味で言ってるわけじゃない」
「そんな事言ったっけ」です。
「何でそう受け取るの?」
「僻みすぎだ、悪く受け取りすぎだ」です。
確かに悪気はないのかな、と
その時は思うしかないのですが、
やはり、
何だか不快感しかなく、
そんなつもりじゃないなら、
他の言い方はないのか?
と言いたい気持ちのまま、
ここまで来てしまいました。
たとえ、一人しか産むつもりはなくても、
「一人目は残念だったけど、
ゆりちゃんの時は
無事妊娠出産できて良かった」
という事ではないのです。
私が生まれてからの話として、
「この後は子を妊娠する予定はないのよ」
という事でもないのです。
こんな事が続いていく中で、
私は無意識に
「自分の命なんて軽いんだな」
と植え付けられていったような感じです。
なんかわからないけれど
自分は結局、
親の世間体を保つだけのマスコットなんだ、
という疑念も、
徐々に抱くようになっていました。
親の吐き出し箱・サンドバック、
のようなものです。
それでも、「そんな事はないよね」
とあえて思うようにして、
むりやり掻き消すようにしていました
しかしやはり
疑念や不信感は拭えないまま、
育ってきてしまいました。
「そんなつもりはない」
「気にするお前が悪い」と、
無自覚に人を傷つける言い方をされ続けても
自らも、それは当たり前の事として
飲み込まなければならない家庭でした。
そんな言葉、大した事じゃないのでしょうか?気にしすぎ、被害妄想だと掃き捨てられてしまう小さなことなのでしょうか、、、
そんな風に言われたり思われたら、
私はやりきれない気持ちになります。
「自分の命なんて大した重さはないんだ」
という無価値感は、
今でも心の奥底に寝付いていて、
友人や夫に、
「あなたは大切で、生まれて生きててくれて、出会えてよかった」とこんなにステキなありがたい言葉を頂いても、
なかなか自分の無価値感は、
拭えないままでいます。
今になって、
「無価値感から来ているものだったんだ」
と気付いたくらい、
無価値感は私の中では、
そんな単語など存在しないくらい、
当たり前であり、既に、
日常に溶け込んでいました。
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