心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

浴びせられた毒の正体

太生谷 ゆり


父は祖父からの愛情不足に執着して、

止みません。

自分の飢餓状態でいっぱいいっぱいです。

お姉ちゃんへの気持ちを馳せる余裕がないのも然りですが、


そして、それは

私に対しても同じなんですね。

未だに、

そして、


子どもの私に対して向けることがなかったという過去にも、一生、

無関心のままなのだろうなと思います。


祖父の過去の自分への仕打ちなど、

子どもの私が、

大人になってから話すのであれば、

別に構わない。

裏にある事情を理解できるし、

分別もつくから。


ただ、子ども時代は、

そんなこと、

大人の事情なんて、知ったこっちゃない。

わかるわけがない。

ただただ、毒でしかない。

という事なんですよね。😫


子どもの頃から、

私の話をしても、

「あーそうなんだ、そうなのか」

という相槌を打ったことが

まずありません。

そもそも耳に入れない。

「ん」と短く切り、すぐさま

自らの昔ばなしにすり替えて

しまいます。


祖父からの仕打ち、

自分は進学できる学力はあったのに、

させて貰えず、

そもそも、教育をさせる気持ちが

ないから、成績表も見てくれず

祖父は一切目を通さない、無関心であった、、

の昔ばなし、不平不満、

時には悪口・陰口、

これらをまとめてリサイタルを

開催し始めます。

リサイタルは、延々と続きます。

未だにそうです。

今回も案の定、

お墓参りに行く時も車中、私は

お姉ちゃんの話を聞きたくて

話しているのにも関わらず、

自らの話にすり替えてばかり。

私は聞きっぱなしにはせず、

父の話をぶった斬り、

何回もお姉ちゃんの話に

戻してました。😩