心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

「子どもであること」を 充分に経験するVol.3

これは、

親子に限らないんですよね。


中学2年生の時、

ある男子が(気をひこうとしていたのかは覚えてないですが、

指示された事をやらなかったか?まあ、大した事柄ではなかったかと思いますが😁)


それを、頭ごなしに注意するのではなく、少し怒るフリをしながら

「こらこら〜◯◯くん!!」と、

先生に注意されていた彼は、

ちょっと嬉しそうでした😆


ちょっとおちゃらけている、 面白い子だったから、というのもありますから、個人差はあるのかもしれませんが。


なんか、このさじ加減の雰囲気、

伝わるでしょうか、、


中学生の時の、

とても仲良しの子が、

いつも両親の仲の悪い事に

気を揉んでいて、とても

苦しんでいました。

子どもの私は、

何も助けてあげられなく、

毎日ただただ「うんうん」と

聞いてあげるしか出来ませんでしたが、

担任・社会科の2人の先生が

彼女の話を聞いてあげていたみたいで、それはとても彼女にとっての大きな心の支えだったようです。3年生になる頃には、

両親の仲がどういう状況になったのかはわからなかったのですが、

苦しみからかなり楽になったようで、そういう悲しそうな表情ではなくなりました。


卒業時、 

「いつも聞いてくれてありがとう、感謝感謝です」

と、メッセージブックに書いて渡してくれた思い出があります。


この、同級生の彼女の場合、

①〜③の段階を

踏んできていなかったんですね。

いかにこの段階が重要なのかが

とてもよくわかった事柄です。

まだ、「苦しい」そういう気持ちのSOSを発することができて、周りもそれを受け入れてくれるような環境であれば、

その後の状況が変わるのかもしれませんね。 


続きます

良かったら。

お目を通して頂けたら嬉しいです😊