心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

両親には、子ども時代の私の一番の理解者であって欲しかった

以前、

映画🎬おかえり寅さん の中の


吉岡秀隆さん演ずる、

父親になったミツオさんと娘さんの

最終に近いシーンでの会話




「お父さん、話したいことがあるんだけど」

とミツオの仕事中(小説を書いている時)に

遠慮がちにふすまから顔を出す娘さん。


するとミツオパパは、ひと呼吸おいてから、

キミの話より大事なものなんてないよ。

(どんな話かな?)」


と返答をしていました。


これ、映画の中だとは言え、

本当にリアルな場で、

言って欲しかったことば。


こんなのありえない日常、でしょうか

臭いセリフだという人もいるのでしょうか


私はこういうセリフではないにしろ、

これに似たような経験がないので

判りません。


せめて、父にも母にも

「どうしたの?」くらいは言って欲しかった。


友達から嫌がらせをされ悲しんでいる、

自分の娘からの話を

すぐさま乗っ取って、

自分の悲劇話にすり替え、

愚痴のオンパレードを

延々と始めてしまう父、


可愛がっていたネコが亡くなって

嗚咽するほど悲しむ小学生の娘を見て

「そんなことでひどく泣くことか😒😒😒」と

肩に手を置くくらいのことでさえすることなく呆れ顔するような母、


映画のようなシーンに

ならないことは、

火を見るより明らかなことでしたが


でも、

もしも、

映画の中のように、

親からことばを貰えたら

子どもはどんなにか

自分を大切にできる人間になれるでしょう。

自分に価値がある、と無意識に感じられ

自信を持って強く生きて行ける人間に

成長できるでしょう。


ミツオパパは、奥さんに早くに亡くなられ、

男手ひとつで娘を育ててきた、

日頃、なかなかじっくり話を聞いてあげられないことへの申し訳なさからくる

自然なことば、小説家ならではの語彙の豊かさからくるものだったと想像ですが、

そう感じるシーンでしたが、


どんなに仕事が忙しくて

普段、

自分に関わってくれる時間がないとしても

寂しい気持ちはならないで

愛情不足にならずにいられるであろうなと


いや、そんなに単純じゃないのかも

しれませんが、


私は親にはそう在って欲しかったのだと

思います。 


こういう温かい雰囲気を味わって育ちたかった私は贅沢ですか?わがままなんでしょうか?


内観しています。



ゆり